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日本国には、湿気が多い。
さっきまで降り続いていた雨が上がると、一層湿度が上がった。
部屋が蒸し暑くなり、ファイは閉め切っていた障子を開いて風の通り道を作る。
数日前までは、夜はまだ肌寒かったのに。
今までは寒さを凌ぐために閉め切っていた障子を、今度は暑さを凌ぐために開け放つことに、季節の変わりを実感する。




障子を開けると、外は夜にしては明るく。橙色の三日月がぼうっと空に浮かんでいる。
ファイは月の明かりが好きだった。
太陽は明るいけれど、目を刺す程眩しく、少し怖い。



月に見とれたまま何気なく下に目をやると、唐突に紫色の大きな花が目に飛び込んできた。
紫陽花が、咲いている。
さっきまで雨に打たれていた紫陽花には無数の露がついていて、月明かりに照らされキラキラと輝いていて。





この大きくて綺麗な花を見ていたら、黒鋼に『花火』というものを教えてもらった日を、唐突に思い出した。







―夜空に散るは、儚い幻―






日本国には、夜空に咲く大きな花がある。
大きな音と共に夜空一面に花開き、その大きさと迫力に圧倒されている間に、花はすぐに小さな火の集まりに変わり、そしてそれが萎むように消えていく。
一瞬しか花開かぬ、大きくも儚い花。


黒鋼が花火を教えてくれた場所は、レコルト国だった。
東京で、幸せに見えていた全てのものが崩れ去り、否応なしに現実を突きつけられる、その直前の平和な時間。
花火について教えてくれた時間は最後の幸せだった瞬間となり。
だからだろうか、その話をしているときの黒鋼の表情、声色、服の色、周りの景色まで、ファイは鮮明に覚えている。


そしてもうすぐ、この国にきて初めての夏がくる。
まだ見たことがないその花を、今年は拝むことができるだろうか。



月明かりと紫陽花に魅かれたまま縁側に座り込み、ぼんやりと思考を巡らせていると、部屋の奥からふすまが開いて黒鋼が入ってきた。

「夜風にあたると風邪ひくぞ」
「暑いし大丈夫だよー」
「まだ髪が濡れているだろうが」

風呂からあがってタオルを頭にかけたまま縁側に座り込んでいたから、髪の毛がまだしっとりと濡れている。
黒鋼はファイの側に寄ると、頭を掴んでそのままわしわしと拭き始めた。
それが少しだけ乱暴で、
「頭がぐらぐらするよー、もう少し優しくしてー」
というと、頭を軽く小突かれてしまった。

「痛いー」
「うるせぇ黙れ」

しかたなく、そのままされるがままになる。
しばらくして一度頭をポンと叩かれてタオルが離れると、それを待っていたとばかりにファイは黒鋼に寄りかかった。

「花火は、夏のものだったよねー?」
「あぁ」
「今年も花火、咲くのかなぁ?」
「花火を『咲く』とは言わねぇよ」
「でも、夜に咲く大きな花なんでしょー?」

知識だけは豊富に持ち合わせているファイが、花火は色のついた火の集合である、ということを理解できていない筈がない。
わざと間違えて楽しんでいるらしいことに、黒鋼はすぐに気づいた。

「花じゃねぇよ」
「もー、黒様が大きな花だって教えてくれたんでしょー。嘘だったのー?」

いけしゃあしゃあと言ってのけるファイにお仕置きを与えるように、黒鋼は頭をげんこつで挟みぐりぐりとしてやる。
わーわーと悲鳴をあげながら、でもそれとは反対に表情は満面の笑みでげんこつから逃れると、次は黒鋼の後ろから首に手をまわしてもたれかかった。



黒鋼の片腕、左の義手を見るのは、実はいまだに少し、辛い。
口に出しては言わないものの、黒鋼もそれを感じ取っているのか、どんな時でも絶対に袖を捲りあげたりはせず、極力隠している。


以前は苦痛だったそのさり気ない優しさも、今では素直に受け取ることができるようになった。


「綺麗なんだろうなー」
「そんなに花火が気に入ってんのか」


太陽が主導権を握る時間帯には、決して花開くことのない大きな花。
闇を、黒を、静寂を、全ての負を逆手に取るように、一瞬でも力強く、この世を照らす。
それはきっと、この紫陽花とは比べ物にならないくらいの、希望の象徴。
想像だけで終わらせるには、あまりにもったいないではないか。


「今年は絶対花火見たいなー」
「花火をやる日は、近くまで連れていってやる」
「本当ー?黒様優しいー」

そのまま顔を黒鋼に近づけると、まだ少し湿っている髪が肌に張り付く。
それが気持ち悪いのか、首根っこを掴まれてべりっと引きはがされた。

「あー、やっぱり優しくはないかー」
「うるせぇ」



人との距離の取り方は難しく、まだうまく取ることはできない。
それでも、ただ闇雲に突き放すことは相手の痛みに繋がることを、いまではちゃんと知っているから。



露に濡れて味わいが増す紫陽花のように。
暗闇があるからこそ光輝く花火のように。
黒鋼が居るから、自分も居る。





―君が傍に居てくれるから、眩しい明日の太陽ももう怖くはないんだ。






fin.






↓後記。
風情ある話を書こうとして撃沈。文章表現力が心の底から欲しいです。
黒鋼さんはファイさんの保護者であればいいと思います。