「こんにちは、『黒鋼』」
ガラガラと扉を開けた瞬間奥からかけられた声に、黒鋼の背筋は一瞬にして強張った。ついでに何やら寒気も走った。
ここは都内の公立高校、そしてこの部屋は生徒会室。
その部屋の奥で、理科の授業でもないのに白衣姿で、満面の笑みを浮かべながらしかし仁王立ちになり待ち構えていたものは。
金髪青目の有名人、いわずと知れた我らが生徒会長様であった。
生徒を指導する立場である生徒会長と、見た目のせいかそれとも性格のせいかこの学校一の問題児という肩書きを持つ黒鋼は、そのお互いの立場から顔を合わせることが多いわけで。
二年の時に周りの推薦で生徒会長に仕立てあげられたこの金髪―ファイと、一年の時から問題児とレッテルを貼られていた黒鋼の付き合いは今年で早二年目、結構な時を経ているのだ。
「ここに呼んだ理由はわかるよね?ねぇ『黒鋼』、これでもう何回目かなぁ?」
いちいち名前で呼ばれる度に身も凍る思いである。
二年間の時の中で、顔を合わせる理由はどうあれ、度重なる内に互いに気心の知れる仲となった。その為なのか…いや、黒鋼の記憶では初めて知り合った時から既にそうだった気もするが、ファイは黒鋼のことをあだ名以外で呼ぶ事はほとんどない。
つまり、黒鋼黒鋼と人の名前を連呼すると言うことは。
会長様、これは大分、…嫌かなり、ご立腹だと言うことだ。
「…ねぇ『黒鋼』。聞いてる?」
「…聞いてる」
「じゃあ、ぼーっとしてないで返事して欲しいなぁ?」
普段は先生ですら、果ては補導にあたる警察官ですら恐れぬ黒鋼である。それが一人の、見た目は大して強そうではない、むしろその細さゆえ繊細にも見える生徒会長の一言で凍りつく訳は。
理由は簡単、過去の経験が黒鋼の心に深いトラウマを残しているからだ。
「オレが何を言いたいのかわかるよねー?」
ふにゃあ、ととろける笑顔を天使のようだと言ったのは一体どこのどいつだったか。黒鋼にしてみれば、それは只の仮面であると、そいつの目を覚ましてやりたい気分である。
「……何だ」
「単刀直入に言いまーす、西棟一階会議室前の窓を割っちゃったのは、『黒鋼』ですかー?」
にこっと小首を傾げて問うてくる。
生徒会室に呼ばれた理由はこれかと、思い当たるふしがある黒鋼は小首を傾げる姿を可愛いと思う余裕すらなく。
「いや違う!それは不可抗力で」
「で?」
「二年の野郎が突然喧嘩ふっかけてきやがって、それを投げ飛ばしたら窓が割れたんだ」
「じゃあ割ったのは『黒鋼』だよね?一体何が違うのかなぁ?」
……一筋縄ではいかない相手である。笑ったままの顔が、とても怖い。
「……俺が割った」
結局こう答えるしかないことを、はたしてファイが計算済みなのかは定かではない。
「じゃあ最初の質問に戻りまーす。窓を割ったのは、これで何回目ですかー?」
カツカツと詰め寄られ、身長差のために上目使いで見上げてくる。
「…さあ」
「わからないんだー?答えはねぇ、十五回目だよー」
にこぉっ。
「『黒鋼』は、窓が割れる度にオレがどれだけ大変な思いをしてるか、わかってるんですかー?」
綺麗な顔で見上げられるが、しかし瞳は全く笑っていない。
だんだんと額に脂汗が浮いてきた。
「……悪かった」
「あのね、これから馬鹿にならないガラス一枚分のお金を予算の中から捻りだして、どこの業者が安いかとか探さなきゃいけなくて、さらにその日程決めとかいろいろしなきゃいけないことがあるんだけど」
謝ってすむ問題ではないと言いたいのか。
ファイの怒りは、思っていた以上に深刻なのかもしれない。
「……手伝う」
「いい」
苦し紛れの言葉は一刀両断で切り捨てられた。
普段温厚な人程怒ると怖いという格言を黒鋼は現在進行形で体験中だ。
「…まぁいいや。あのね、オレこれから部活に行くんだけど」
生徒会長のファイは、同時に化学部部長という肩書きも持つ。授業でもないのに白衣を着ていたのは部活のためらしい。
その言葉で、ようやくこの場から逃げられるかと安堵しかけた黒鋼だが、しかしそれは大きく裏切られた。
「でもその前に、この薬が人体に与える影響について、実験しちゃってもいいかなぁ?」
さらりと言ってのけた一言の、その身の毛もよだつような内容におもわず我が耳を疑った。
しかしポケットから取り出された物を見て、不幸にも冗談ではないことを理解する。
そう、それは。
半透明でサイズこそ小さいものの、その台詞と重なれば恐怖心を計り知れない程引き出せる威力を持つ。
―注射器、だった。
(なんで学校にそんなもんがあるんだ?!)
突然わが身に降りかかった事態にたじろき、無意識に一歩後ずさると。
「大丈夫だよー、別にヤバい薬じゃないし」
生徒会長は相変わらず天使の笑みだった。
ヤバい薬ではないなど、人体に与える影響と言う言葉だけで信じられるものではない。
「おい早まるな!」
身の危険を感じていない訳ではなかったが、まさか命の危機までさらされるはめになるとは思ってもおらず。
「だって何回言っても同じこと繰り返すしー、言っても無駄なら態度で示せって言うでしょー?」
その言葉は自分で作ったものだろうと突っ込む余裕は黒鋼には無い。
注射器のピストルに親指がかけられ、軽く押すとぴゅっと透明な液体が飛び出した。それがとても生々しい。
これが最期となるのだろうか。はたして殺されるほどのことをしてしまったのだろうか?
デッドオアアライブ。
しかしどうすればアライブに転がるのかその術が全くわからない。
後悔するならどの辺りからだろうか、窓を割った所からか、はたまた生徒会室に来てしまったあたりからか。
ぴりり、とした空気が部屋を包んだ。
つかつかと歩み寄ってくる会長。
距離はもう、一つの歩幅分ほどしかない。
―まさか高校生の身分で一生を終えることになろうとは。
だが時すでに遅し、これは潔く覚悟を決めよう。
「……冗談だよ」
しかし次に発せられた言葉は黒鋼の予想を大きく裏切るものだった。
「……は?」
「だから冗談。これ、ただのお水だよ」
そしてぴゅっとピストルを押し切り、注射器の中身を空にした。
確かに考えてみればここは高校、そんな犯罪をやれる訳が無い。しかしそんな常識すら通用しないような鬼気迫るものがあったのは、おそらく気のせいではないと思う。
「怖がらせちゃってごめんね。……話はこれだけだから。わざわざ呼び出してごめんねー」
注射器をポケットにしまい、今度は少しだけ困ったような顔で笑う。
「……あんまり無茶しないでね。君は誤解されやすいんだから」
ことのなりゆきについていけない黒鋼は呆けたように相手を見返すしかなく。
「じゃあ本当に部活に行くから。もう窓ガラス割っちゃダメだからねー!」
ひらひらと手を振りながら、たたたっとファイが扉の外へ走っていった。
「……あんまり心配かけないでほしいなぁ、黒様」
閉められた扉の外で呟かれた言葉を、事態の展開を飲み込むまであと少しの時間を要する黒鋼は、残念ながら聞くことは出来なかった。
fin
↓後記。
小話のつもりが思ったより長くなったのでnovelにアップ。
書いてる本人だけはとても楽しかったです(…)。会長様は最強無敵のアイドルなのです。
気が向けば続き書きたい…。